医師の「余命宣告」に学ぶ。

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どう書いたらわかりやすいのか、まだ明確な答えは出ておりませんが、ひとまず世間の流れというか、どうにも逆になっているように感じます。

例えば納期の設定。

多くの人は「早く納品しなければ!」と思うからなのか、可能な範囲で早い日時を設定してクライアントに伝えたりします。そして、なにかしらの問題が起きれば「遅れます」と伝えなければならない。果たしてそれで評価を得られるのでしょうか?

同じ日時に納品するにしても、早めを伝えておいて延期するのと、最初から確実に間に合う日時にしておいて、変更なく納品するのでは雲泥の差があります。同じ日時に納品したのに、です。後者なら、あらかじめ聞いていた日程よりも早くもらうと嬉しいですしね。

もちろん、納期を決める上で諸事情により猶予がないこともありますが、この例が一番わかりやすいかと思って書きました。

しかも、毎回延期の上で納品していると、クライアントは「あそこは納期が遅れる」とレッテルを貼ってしまいます。人は予定通りにいかないと基本的にはストレスを感じます。仮に競合が現れた場合、お仕事を切られる理由が一つ増えてしまいます。

ワタクシは常々、このパターンの話を聞くたびに、医療系ドラマの余命宣告シーンを思い出します。

医師が余命を宣告するとき、確実性のないことは言いません。なにせ命がかかっていますから。患者やその家族にとっても、想定外の死は影響が大きいので、確実性のあることしか聞きたくないでしょう。

この余命宣告から学べるのは、命のかかった問題だから。つまり、究極の選択の答えの出し方だと思っています。一見どちらでもいいと思えることでも、深く考えれば同じような判断になるはずです。

時間の約束も、できるかどうかの返答も、感染症の広がりを抑えるべき場面でも、すべての場面で確実性のあることを優先することは、目には見えなくても大きなメリットを生みます。いや、むしろこういった判断を安易にすることは、目に見えないデメリットを背負うことになると思うのです。