ワタシハワタシ。

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感謝と反省です。

なにせ、自分じゃそうしないつもりでいたものの、指摘されると「〇〇世代」とかいうくくりでとらえている自分がいたのです。1971年生まれという、もっとも出生が多い年に生まれ、およそ教育というと「右へならえ」であり、受験戦争に敗れ、終身雇用が当たり前の最後くらいに世間にデビューしました。

そんな中、自分はちょっと?周囲ととらえ方がずれているなあと思うことはしばしばありました。10人中9人が「ダメに決まってる」と思っても、自分は「いや、わからんぞ」と思ったり、愚痴を言うべきじゃないとよく耳にしつつ、自分では「言ってすっきりするなら愚痴は言うべきだ」と思ったり。

そんな自分をちょっと特殊な色で見ていたにも関わらず、いつのまにか「〇〇世代」とくくっていることに気が付いたわけです。気付きをくれた人に大きく感謝します!

2018年の後半からこっち、人生でもまれに見るくらい多くの人に自発的にお会いしています。出版社やネット放送局時代は、ある種人に会って話をすることも仕事のうちでしたが、今現在は企画の仕事なので、その時以上に必要だと感じたのがきっかけです。互いに昔を知っている人、新しい人織り交ぜつつ、皆さんが今なにをしていて、問題を抱えていたり、アクティブに活動したり、心血を注いでいることを見せていただいたり。中でも一番興味をそそるのは、ちょっとオーバーな言葉かもしれませんが「どう生きると考えているのか?」です。

ワタクシもアラフィフですので、残りの人生をどう生きるか、まだ模索していたとも気づかされました。今のところ、ワタクシ自身はこれまでの人生で多くのことで許されてきました。初めて部下を持った時は、今でいう「パワハラの権化」でしたし、人に強く出ることも多くありました。いろいろな経験があり、今では考えが変化しています。

何度も言ってきていることですが、仕事も道具もシステムも、そしてお金ですら、人が暮らしを豊かにするために生み出されたものなのに、いつの間にか人の優先順位が明らかに1番ではないと感じるのです。

「自分は自分。人は人。」

とかよく聞きますが、言葉足らずだと感じるのでワタクシとしては追加。

「自分は自分。人は人。自分は人。」

つまり、自分も一人の人間なのだから、感情の波があり、あらゆる影響を受けて考える。そんな自分を大切に思うなら、ほかの人のことも大切にすべき。という考えです。

ちょっとした一言でケンカになる。ならその逆に、ちょっとした一言で距離が縮まったり仕事がうまくいったり。両者の差の大きさを知ると、損得だけで考えても答えはおのずと決まってくると思うのです。ネット上を含めて最近の報道を見ていると、悪いニュースに対してとにかく噛みつく人が多いことと、噛みつき方がすごいこと。

もちろん、悪いことは悪いとワタクシも思いますが、噛みつく人にも「で、あなたはそんなに完璧なの?」と聞いてみたくなります。

今のワタクシは企画者です。簡単に言うと「誰かの役に立つのが仕事」です。困ったことの解決、成し遂げたいことのお手伝い。だからこそ、まずは相手、つまり人を見るべき仕事なんですね。

制作会社に関わっているので、映像や音楽の制作に寄るとは思いますが、それはあくまでも会社単位でのキャラ。自分のキャラは「人助け」になるわけですね。お仕事ですから、理想と思うのはお互いに成功していける結末です。強いて欠点を挙げるとするなら、「何でも屋」ととらえられてしまうところかもしれません。

会社としては音や声の活かし方を得意としてますので、ワタクシもその分野で新しいことを始めたいと思っています。行動心理学と音の関係性の本を読みまして、ぼんやりとしていたアイデアに輪郭が出てきています。

例えば、セミナーの現場やEラーニング動画に「音で学ぶ気持ちにさせる」とか、人間の反応がもっとも速い五感は聴覚なので「うるさくない音で人目を引き付ける」とか、電子音をはじめとする人工的な音があふれていますが、基本的に電子音は人間にストレスを与えるので「癒しを与える自然の音で演出する」とか、そんなことを考えています。